オタクの愛は悩ましい
オタクとニワカの対立がコミュニティやコンテンツを腐らせちゃうよねって思う
最近Vtuberとかゲーム実況の部分になんとか技術的にアプローチできないかなぁと
考えていた時にちょっとした発見があった。
まあ端的に言ってしまえば裾野を広げることを阻害してしまうファンは
ファンとは呼べないんじゃないかということ。
どこまでをファンと切り取って行くのか。
一億総副業時代と言われる現在、サロンとかコミュニティー運営をしたい人たちインフルエンサーにとって悩ましい問題じゃないかなと思う。
オタク愛に蝕まれたコミュニティ
最近Youtubeには生放送に投げ銭機能が実装されていてこれが面白い。
以外にも投げ銭するのはパッと見に来た人だったりするのだ。
もはやインターネットのコミュニティ運営において20:80の法則は通用しないと思ってもいいのではないか?
なんて思うこともしばしば。
そんな中でやはりオタク(ここでは愛が深く古株のかた)とニワカの対立が起こると本当に手がつけられない。
それのせいでコミュニティがダメになってしまうことだってあると思う。
愛が深すぎてコミュニティとアーティストを滅ぼすのはファンに許される行いではない。
愛は言い訳にはならないんだ。
オタクが幅を聞かせニワカを追い払うコミュニティは結果長く続いてくれない。
それは誰のせいでもなくインターネットのエコシステムがそうさせるのだ。
オタクは売上に貢献しない
残念だがインターネットの時代において少数のオタクの購買活動によってコミュニティは豊かにならない。
そしてアーティストやコミュニティの主は潤わないのだ。
端的に説明するならばオタクの購買で生まれる流通総額よりもコミュニティにでる広告の方が
流通総額が高いからだ。
確かにファンの購買はアーティストの原動力かもしれないが、綺麗事は言えても金が回らないとサービスは動かない。
つまりは広告や企業案件に関わることをアンチ的に見てしまうファンの存在が
アーティスト本人の活動を制限してしまう。
アーティストやその活動に共感した企業に
お金を潤わせてより良いサービス展開させてあげようじゃないか。
今後はコミュニティにおいての利益活動を認めないとプロトタイプになってしまう。
ムーブメントとは裾野が広がるう動きそのもの
ムーブメントというのは裾野が広がる動きそのものだと思っていい。
その動き自体に価値が出て、いろんな感情やお金を産んで行く。
そのムーブメントを阻害するのがもっとも愛の深い人っての泣きたくても泣けない。
オタクが先導してムーブメントを起こすようになるとVRや仮想通貨、ゲーム実況はもっと面白いと思う。
いい加減ニコニコでヘイト垂れ流して弾幕張ってる場合じゃないぜ。
まとめ
- ファンの属性は様々だけどファンが盛り上げるコミュニティが今後は大事
- 古参のファンがニワカを認め、ニワカがルールを守れないとコミュニティは滅ぶ
- 裾野を広げるのはいつだってニワカ
まあなんだかオタクをディスったような書き口になってしまっていたたまれない。
僕自身映画が大好きだし、アニメや漫画なしでは生きれない。
ゲームに人生救われたしYoutubeはインフラだ。
だからこそ好きなものには長く良いコンテンツを提供してほしいなと思った。
そして自分自身がコミュニティをアーティストを殺さないためにも
いろんなことを考えながらもっと面白い技術を発信したい。