マネジメントのあり方をいい加減学ぼう
指揮官に刃向える健全さを日本の組織は知らない
例の日大アメフト選手本人の陳述文を読んだが見事な文だ。日大当局よりずっと上だ。もちろん、文中にもある通り、本人の責任はゼロではないが、本人が逃げずに会見しただけ立派。ココで逃げるかどうかで彼の一生が決まる。絶対に負けられない戦い、などないが、 絶対に逃げてはいけない戦いはある。 https://t.co/4vAgFxySZs
— 田端 信太郎 (@tabbata) May 22, 2018
日大のアメフト騒動
日大のアメフト騒動は現状国会くらいしか騒ぐネタがないのでえらく盛り上がっている。
僕も以前はバスケをしていて色々思うことがあるんでつらつらと
- 選手と監督の関係
- マネジメントのあり方
みたいなことを書いていこうと思う。
監督と選手
監督と選手は非常にデリケートな関係だと思う。
監督は職業としての監督な訳だが、こと体育会というのは選手はプレーをしても報酬はない。
選手とし認められれば今後職業としてのスポーツ選手になれる可能にかけているのだ。
つまり圧倒的に立場に差があり、選手というのは弱く未熟だ。
つまらない大人の事情を監督がフィールドに持ち込むことはあってはならないんだ。
マネジメントのあり方
監督と選手というたての関係が成り立つ時に下の人の未来に対して上の人間が意図して選択肢を潰すという脅しは最低のマネジメントだ。
特に部活動なんてのはお金もらってやるものではないわけで、将来への投資のために監督はマネジメントをしないといけない。
関係性の逆転がありえない状況下で自己都合により相手をしかも職業としてやっていることではない行為に対しての報いを
未来を潰すという形でとった日大の元監督は最低だ。
どんな理由があるにせよマネジメントというのは未来を共に作るり、
その達成のためのプロセス管理を上の人間がするのがあるべき姿だ。
こういう議論の際に昔から上下関係というのがあってだな。。。という意見が出るがそれは関係ない。
伝統ではなく負の遺産だ。
年次によってマウントを取るというのは精神的に幼いとしか言いようがない。
日本のアメフトをはじめ世界に名が通らないのはそういう幼く幼稚な儀礼がまかり通るからだ。
同じ方向をみてあり方を作れないならばマネジメントの立場に立ってはいけない。
まとめ
- 指揮官は人間で絶対ではない
- マネジメントする側がたての関係性を利用し対象を動かすのはルール違反
- 人は結局変われないが変わる努力はできる
日大の会見はお粗末で、コメントも随分しょうもない感じだった。 今回一番地位をあげたのはM選手に付いていた弁護士かなと思う。
彼の判断がなければ今よりももっとよくない方向に自体が進んでいたに違いない。
そして今回の一件で僕たちはやらかした時,事態の回収の悪手を経験したわけで そこから学び変わる努力が必要だ。 会社員も教員も生徒も。
みんなであり方を変え押し上げないといけない。